1969-04-17 第61回国会 衆議院 逓信委員会 第15号
その後、特使として小林孝繁という人が派遣された、こういうようなことを聞いておるわけであります。その調査の結果が、私は不詳にして知らないうちに長野の人事部長に栄転して現在はおらないということを聞いておるのですけれども、この調査の結果について報告がはっきりございましたでしょうか。
その後、特使として小林孝繁という人が派遣された、こういうようなことを聞いておるわけであります。その調査の結果が、私は不詳にして知らないうちに長野の人事部長に栄転して現在はおらないということを聞いておるのですけれども、この調査の結果について報告がはっきりございましたでしょうか。
○山本(博)政府委員 ただいまお述べになりましたとおり、小林孝繁君が命を受けて大船渡に行って調査をいたしてまいりました。その調査の報告はございました。
本日委員石黒忠篤君、村上義一君、野 坂参三君、植竹春彦君、古池信三君、 小山邦太郎君、後藤義隆君、紅露みつ 君、近藤鶴代君、迫水久常君、笹森順 造君、塩見俊二君及び椿繁夫君辞任に つき、その補欠として森八三一君、杉 山昌作君、岩間正男君、重政庸徳君、 郡祐一君、一松定吉君、吉江勝保君、 草葉隆圓君、西田信一君、佐藤芳男 君、斎藤昇君、杉原荒太君及び小林孝 平君を議長において指名した。
本日委員重政庸徳君、岡田宗司君及び 安部キミ子君辞任につき、その補欠と して迫水久常君、椿繁夫君及び小林孝 平君を議長において指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
昭和三十三年十二月十六日(火曜日) 午前十時四十八分開会 ————————————— 委員の異動 十二月十二日委員北村暢君及び小林孝 平君辞任につき、その補欠として棚橋 小虎君及び戸叶武君を議長において指 名した。 十二月十五日委員大河原一次君辞任に つき、その補欠として吉田法晴君を議 長において指名した。
去る五月九日付で委員小林孝甲君が辞任され、同じく五月二十九日付で委員高橋衛君が辞任され、その補欠として森田豊壽君が委員に選任され、五月三十日付をもって委員小笠原二三男君が辞任され、その補欠として松本治一郎君が選任され、本日付をもって松本治一郎君が辞任され、その補欠として小笠原二三男君が選任されました。
本日安部キミ子君が辞任され、小林孝、平君が選任されました。 —————————————
七月十八日委員野溝勝君及び井村徳二 君辞任につき、その補欠として小林孝 平君及び鶴見祐輔君を議長において指 名した。 ――――――――――――― 出席者は左の通り。
昭和二十九年四月二十二日(木曜日) 午後三時十六分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十一日委員田中一君及び小林孝 平君辞任につき、その補欠として、山 下義信君及び江田三郎君を議長におい て指名した。 出席者は左の通り。
昭和二十九年四月二十日(火曜日) 午前十時三十五分開会 ————————————— 委員の異動 四月一日委員三輪貞治君及び石川榮一 君辞任につき、その補欠として小林孝 平君及び上原正吉君を議長において指 名した。 四月五日委員上原正吉君、小林政夫君 及び飯島連次郎君辞任につき、その補 欠として伊能芳雄君、村上義一君及び 高木正夫君を議長において指名した。
それからなお、今の二件は本日を希望されておりますが、次の水曜日を御希望になつておりますのが、社会党第四控室の小林孝行平君から、米の統制撤廃に関する緊急質問、農林大臣、大蔵大臣、経済安定本部長官、この三人を要求された緊急質問、緊急質問以上三件でございます。